健康と長寿は日本のブランドに成りうる!

健康と長寿は日本のブランドに成りうる!

長寿一番、長野県の謎に迫るという記事を書いているアジアの方からのリクエストでした。

なぜ長野県は、他の都道府県に差をつけて、長寿日本一になったのでしょうか?そこに、発酵食品の技がありました。

そこで、発酵食品として真面目に味噌に取り組んでいる味噌ラボに訪問をすることとしました。発酵食品の代表は、味噌と醤油・・・そのルーツはひとつです。信州の禅僧・覚心(かくしん)が1254年(鎌倉時代)に中国から持ち帰った径山寺(きんざんじ)味噌の製法から、味噌づくりが開始されました。紀州・湯浅の村人にその製法を教えているうちに、この醤からしみだす汁がとてもおいしいことに気づき、今でいう「たまりしょうゆ」になったといわれています。

 

 

長野~味噌ラボ

長野味噌ラボとは、その味噌神社のあったところにあった信州長野県味噌工業協同組合連合会が母体の研究施設です。現在は、長野駅から歩いて行ける距離の場所へ昭和54年移動しました。お会いした原山文徳特任研究員は。バックボーンが大学で醸造を学んでいらした味噌博士でした。

 

背景

長野県は、川がいくつもあります。そういった川の下流はデルタ地帯として米が生産されます。大豆も取れますが、米を麹にしてふんだんに使います。関東大震災と第二次世界大戦の時、関東圏に信州味噌を物資救援のため出したところ、大変好評でした。ところが、物資が足りなくなってくるとGHQの指導でコーングリッツなど穀物でありさえすればいいというような素材を使うようになり、本来の信州味噌文化を崩すこととなりました。そこで、信州味噌を研究し、維持、改良を含めた施設を作りました。行政の機関でなく組合が行っているものですのでホームページも美しく仕上がっています。

流れを汲むのは「豆味噌」

中国から、韓国で味噌玉のメジュにして日本にやってきた醤文化と、中国から覚心が直接持ってきた豆味噌文化の二つがあります。信州味噌は蒸した大豆を潰さず、丸のまま使う点が他と違い発酵米麹を足して作ります。流れは後者の豆味噌だとおっしゃいます。

 

 

 

味噌が健康によい

国立がんセンターの平山雄さんの論では味噌汁が胃がんのリスクを下げるということでした。厚生省も「乳がんのリスクが低くなる」という臨床データを出しています。健康・長寿のライフスタイルを提言する長野というスタンスで全てが動いているそうです。

 

 

訪問したのは、コロンビアと日本がワールドカップのグループリーグで戦う日でした。新幹線に乗る頃には、大変残念な結果だったことを知りました。ここで、この話題になったのは、前々日にシュラスコ料理を選手達に食べさせたザッケーローニ監督の感覚を非常に欧米的としたことからでした。日本人は、腸が長いことでわかるように、欧米人と違う消化プロセスをもっています。炭水化物、特にグルコースをエネルギーにする粒食文化ですから、ご飯を中心に食べさせるべきだったことを強調していました。味噌を販売促進するためには、ご飯をとっていただかないと売上げは伸びません。こういった栄養と絡めたお話も発信している味噌ラボさんでした。

 

味噌ラボのホームページ

おすすめの味噌汁の具は「とまと、なす、きゅうり、みょうが、オクラ」という夏野菜が入っています。この提案は、温かくして飲む味噌汁でなく冷やし汁として夏野菜を食べましょうと言う提案です。味噌汁の凄さは、入った野菜を全食するということです。捨てる部分がありません。また、この数種類の具を入れるというのが、地方の特色です。都会の味噌汁の具というのは、多くて2つまでです。あくまで一汁一菜の一汁での意味を大切にします。田舎では、残っている野菜があれば何でもいれてしまいます。これは、お鮨屋の粗汁でも、都会部の粗汁には、あまり野菜が多くないのですが、田舎の粗汁は、野菜も魚介類もたくさんの種類が入っています。

文禄(15931594)年間に建てられた五重六階の天守としては日本最古です。何度も存続の危機を乗り越え、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されています。明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定されました(昭和27年再指定)。別名深志城とも呼ばれています。姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。

 

周辺は松本城公園として整備されており、北アルプスを抱いた威風堂々とした姿と、季節ごとに見せるさまざまな表情が美しく、松本のシンボルとして多くの方に親しまれています。

 

本当に発酵食品は、「水がおいしいところ」という条件が必要だということが痛感させられる町でした。

 

松本のいたるところに湧水があり、ちょっとした彫刻が施されています。

 

長野県の白味噌は、漬け物にも良く使われています。また、甘味を食べると漬け物がでてきます。関東でも好まれているのは、関東大震災や第二次世界大戦で物資が無い時代に長野県で仕込んだ味噌で関東地方が救われたという逸話があるからです。言い換えれば、私たちの一番なじんでいる味ということになります。

 

白い・甘い・大衆の「信州味噌」と思っていくと裏切られるという石井味噌さんの味噌を見学に参りました。

ガイドツアーを申し込みました。ガイドさんによると、三年赤味噌は石井味噌の自信作とのことでした。手前の鉄の釜で米を蒸していたそうです。現在は、アルミの機械に変更しています。

 

大豆は炒ったりせず、煮て丸大豆のまま合わせます。米もそうですが、信州では表面積のために割ったりしません。

 

ガイドの方は料理学校を出られて、いつもはトン汁を中心にしたメニューを提案しています。長野県の人はたくさん具の入ったお味噌汁だけでごちそうだそうです。

 三年たったものは、蔵出しするために小さなポリバケツに移していきます。

理由は、容器にいれやすいからです。ぎりぎりの発酵もきたいするので、多孔質のポリバケツを使っています。

 

作り方に天地返しなどがあり、つくりは仙台味噌です。

 

一番上に石をまばらにおき、さらに上には白いビニールのカバーをしているのは、始めてみました。これでも充分酸素を吸っているということでした。

 

石井味噌さんでは、無料で一杯味噌汁を提供しています。最近増えている中国人でも美味しいと飲んでいく方が多いそうです。

 

松本は「学都」「岳都」「楽都」という三種類の顔をもちます。これが、ガイドさんの言う「松本にはストレスがない」原因になっているそうです。学ぶ楽しさ、山に登る楽しさ、そして音楽を楽しむ楽しさということです。それは、様々な場面で見つけることができます。博物館が多いことや、楽器をもってる人が歩いていること、山岳商品のお店が多いこと等です。

 

石井味噌は、信州味噌といっても赤味噌です。お話をうかがっていると、仙台の軍が攻め込んだときに伝わった仙台味噌ですが、関東のために出したことがきっかけで甘いお米主体の味噌にシフトしたそうです。

いいそざいの味噌。

長寿一番、長野県の謎に迫りました。