流刑地の爆薬が観光客の誘致に役立つ時・・・

流刑地の爆薬が観光客の誘致に役立つ時・・・

高山の訪日外国人人気は途絶えません。しかしながら、五箇山も同じ景色で大変外国人観光客にはポピュラーです。

 


果たして、その昔、流刑地だったと伝えていいのか?と悩むほどです。

爆薬も発酵だというとびっくりします。

世界遺産になった合掌作りで有名な越中(富山県)五箇(ごか)山(やま)地方の農家では、慶長10年(1605年)頃から、発酵によって塩硝(硝酸カリウム)、すなわち爆薬を作っていました。

昔の農家には囲炉裏がありました。この床下2間(約3.6m)四方にすり鉢状の大きな穴を2つ掘ってあり、そこに稗(ひえ)、藁(わら)、枯草等を敷き詰めて、肥沃な土と一緒に鶏や蚕の糞を入れます。それらを交互に積み重ねた後、一番上から貯えておいた人間の尿を大量にかけ、土をかぶせて発酵させるのです。

5−6年後には塩硝土というものができますから、これを土桶という檜作りの桶に移し、上から水を満遍なくふりかけ、一昼夜かけて出てきた濾水を釜で煮詰め、草木灰を加えて濾過してまた煮詰め、木綿で濾し、自然乾燥させますと灰汁煮塩硝(あくにえんしょう)というものができるわけです。数度精製を繰り返し、できた塩硝を加賀藩へ納めていました。その生成メカニズムは、蚕糞や鶏糞、人尿に含まれている尿素(CO(NH2)2)が土壌中の微生物の作用を受けて脱炭酸されてアンモニア(NH3)となり、これが酸化されてまず一酸化窒素(NO)となります。さらにこれが酸化されて過酸化窒素(NO3)となり、これに水がついて硝酸(HNO3)になったのです。一方、植物や草木灰には多量のカリウム(K)が含まれていますから、これが発酵によって組織から離れると、硝酸と結合し硝酸カリウム(KNO3)ができるという、実に綿密に計算された高度な化学です。

どこかの農家に放置されていた堆肥が偶然爆発してしまったのでしょう。それを見逃さず探求した結果、家内制手工業として伝えられてきました。ノイベルグという人が微生物でニトログリセリンを作り、ダイナマイトを発明したのが第1次世界大戦の終り頃ですが、それよりも400年近く前に日本人は発酵によって爆薬を作っていたんです。