外国人観光客はベジタリアンが少なくない→成功事例
グルテンフリーを探求するアメリカ人記者と探した日々。究極の発酵食品をご紹介でき、ビジネスが成立しました。
テニス選手のジョコビッチがグルテンフリーで体調不良を克服し筋肉量を増やせたことからこのダイエット方法を支持する方が多いのです。
石鍋商店
創業:明治20年代
住所:東京都北区岸町1-5-10
電話番号:03-3908-3165
訪問のきっかけ
澱粉発酵の餅とは?葛粉由来の餅?
江戸の後期から庶民のおやつとして親しまれてきた「久寿餅」でした。江戸発祥の嗜好品で、東京以外の場所では、あまり知られていない発酵食品です。「くず餅」という名前から、「葛」が使われているのかと思われますが、原料は小麦粉です。しかも仕込みから店頭に並ぶまで2年もかかります。
葛を使用した餅【葛粉】
葛が採れる土地では葛餅が主体となります。鹿児島県、奈良県、静岡県などで採集できます。葛餅だけでなく葛きり、葛饅頭なども作られています。葛粉をつくる工程が複雑で手間暇かかるため葛粉が取れないところでは、他の食材の澱粉で工夫したと思われます。現在では中国からの輸入に頼っています。
わらび餅とよばれる葛餅【葛粉】
文献として残っているのは静岡県日坂宿のかつての名物に蕨餅が茶店で売られていた、とあります。天明6年(1786)頃刊行の『東街便覧図略』には、「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」とあり、実質は葛粉を使った葛餅だったようです。
香川くず餅【片栗粉】
ジャガイモ由来の片栗粉をくず餅にしているところもいくつかあります。もともとジャガイモの澱粉を片栗粉と呼び始めた背景にはカタクリという植物の根っこの澱粉を粉にしたことから始まります。わらび餅も元はわらびから澱粉粉をとっていたからです。
沖縄くず餅【薩摩芋粉】
沖縄では、ンムクジというサツマイモ澱粉を原料に粉にしたもの葛餅として扱ってきました。ここに黒糖を入れて成形しますので、食べる時にはきなこだけで食べることができます。鹿児島では葛が取れていたので葛を使った葛餅だけでしたが、最近になって沖縄から逆輸入のようにサツマイモを使った葛餅も作られるようになってきました。
以上が葛餅および葛餅風な和菓子の例です。今回、訪問しようと思ったきっかけは、葛の代替えを小麦で行ったという経緯を調べてみたいと考えました。
団子や餅を食べていたところは、普通の食事では栄養が足りなかったようです。澱粉は発酵技術がなくても容易に糊化作用を使っていたためですが、一番粘性のない小麦澱粉も障子を貼ったりするのには、適していたようです。また、無駄にしないリサイクルの江戸という街を象徴しています。
江戸の街としての王子
江戸時代に八代将軍紀州出身の徳川吉宗が故郷を思い出し名付けた飛鳥山、音無川があります。彼は桜の名所として飛鳥山を珍重しました。その頃から明治にかけて風光明媚な王子は観光地として栄えていきました。音無川や滝、そして王子の狐という行列をするイベントがあります。あのトロイの遺跡を発見したハインリッヒ・シュリーマンがわざわざ王子を訪ねていることに代表されるように外国人がたくさん訪れ彼らが撮った写真も複数残っています。それは、渋沢栄一という資本主義の父と呼ばれた存在が大きかったようです。渋沢は縁あって語学をシーボルトの弟に習っていたのでドイツ人の人脈があったと思われます。
石鍋商店ののれんを見ると「くず餅」というのは、こちらの店の商品名がそうであるように、漢字で「久寿餅」と書きます。この字を見れば、葛が原料の「葛餅」との混同も減るのではないでしょうか。葛餅の由来は、天保(1830~1840年)の頃、偶然雨に濡れてしまった小麦粉を樽に入れて忘れていた「久兵衛」という人が、翌年の飢饉の際にその小麦を思い出し、蒸して食べてみたのが始まりといいます。この「久兵衛」さんの「久」の一文字と無病長寿を祈願して「久寿餅」と呼ばれるようになったそうです。残念ながら文献はありませんが、川崎大師の説として広く知れ渡っているものです。一方池上本門寺、亀戸の夫々が元祖であるとの説があります。また、小麦粉は当時使用していた中力粉であったであろうということです。
『久寿餅』は発酵食品なので、素材のいいものを選んでも、気温や気圧によって出来上りが左右されます。菌が入っている生き物ですから扱いには長年の職人による積み重ねからくる勘が必要な「食べる工芸品」と呼んでもいいでしょう。
製造過程は原料屋から始まります。「麩」の原料となるのが小麦のグルテンであり、焼麩屋ではこのグルテンだけを抽出し、澱粉は障子やフスマなどを張るための水糊として広く使用されていたそうです。澱粉を焼麩屋から引き取ります。石鍋さんは容器の樽はこだわって新品を特注したそうです。酒は、杉の臭いのプンプンする樽を使いますが、醤油、味噌はその使いまわしでないと使えないと言われます。後者のタイプにするために杉の香りを抑えました。一度ステンレス製を使ったことがあるそうですが、上は発酵しても下が発酵しないという状態に悩まされたそうです。菌は生き物なので結論としてやはり木樽の方が相性いいということです。
水を入れて沈殿させ上澄み液を捨てるこの作業は、酸味や発酵臭を取り除くためです。時々、酢酸の発酵の時にできるような分厚い膜ができるのでそれを取り除き、また上澄み液をすて、攪拌し水をいれます。2年も発酵させた澱粉の臭いは強烈なもので、この「攪拌、満水、沈殿、上澄み液を捨てる」という作業は合計3回も行います。
そして、とにかく長いのが原料の澱粉を寝かせる時間です。「くず餅」は澱粉を寝かせ、発酵させることで独特なモチモチした食感を作り出し、その発酵期間は1年半~2年も要するそうです。
発酵させた原料は「1年もの」や「2年もの」に分け、これを作る時期の気候等を考慮して樽から攪拌タンク内に移動しブレンドします。その後、タンクに水を入れて満水にし、最低10時間程度置くと澱粉が沈殿するので、上澄み液を流し捨て去ります。中間点から水を抜き、新しい水を入れるという作業を3~4回行います。この加減は経験のたまものです。職人の勘の世界で若いと酸っぱいし、苦味がちょっと出てくるところで出すそうです。味をみてその日つくるものを60ℓの樽で三つ分取りだします。この際、保管は6℃のところで冷蔵保管します。上澄みと水を交換する先ほどの作業数回で薄くなったため菌が減ってしまい雑菌が繁殖しやすいため冷蔵保管で寒い時も水の作業をします。冬場はたいへんご苦労の多い凍てつく作業です。
次の工程では、タンクから取り出した澱粉に湯を入れ、もったりとした糊状にします。カタクリ粉でアンをつくる要領で、とろみがついたのがわかります。それを蒸籠(せいろ)に流して高圧の蒸気を当てて蒸します。今度はどんなに暑い日でも汗だくで行う作業です。
ここで使われるすだれも通常は外皮部分が並びますが、蒸すことで竹が伸びるので外皮部分を横にし、切り口で並べ、竹の収縮で餅に影響がでないようにします。すだれ職人の継承者が育っていないのが問題だということでした。石鍋さんはご自分でも修理をすることがあります。
攪拌する棒も江戸時代からお使いになっている木製のものです。ただし、柄杓が壊れたためホーロー鍋をつかっているようです。ホーローは、発酵・醸造の現場で発酵段階が終了したものを醸造・貯蔵する際にもっとも使われる素材です。
ところどころで、ポリバケツが出てきますが、これは木桶作り職人がもういないからだそうです。また、発酵の過程で使うのでなく回収の目的で出てくることが多いようです。しかし、木桶は、この程度ならまだ販売されていますが、後日この点を日本生物工学会の学会員にうかがったところ、ポリバケツにも木桶程度の多孔質の性質はあるとしていました。
この蒸す瞬間というのがまた職人の腕の見せ所であり表面にしわしわの膜ができないように片面を途中でうっすらとした蒸気で蒸し均一化させたり、角に蒸気圧がかかりすぎないように道具に遊びの空間をつけたり、様々な工夫がされています。色や指で押した感覚で判断しながら蒸かしあげるそうです。
グルテンを取り除いた澱粉で作ったものという定義ですが、このもちもち感は、グルテンのような伸びるほどの弾力ではなく片栗粉などで白玉を作るような「もち」としての感覚です。グルテン由来の弾力がまったくないか?という点については、分かりかねます。
その後、グルテン成分のアレルギーがある人に勧めていいか?を医者の知人と話しました。工場で小麦を扱っていただけで、アレルギーが出る方も多いので穀物アレルギーはその恐れのあるものは、避けた方がいいということでした。
これについては、食品の会社にお勤めになっている人は違う見解をもっていました。グルテンフリーで提供しているレストランのものには、こういったグルテン排除の小麦スターチ由来のものがあるそうです。『食というのは、個人個人の反応が全く違うので一概にこうだ!と言えない』と、おっしゃいます。
こうして、状態を丹念に見ながら蒸しあげられた「くず餅」は蒸籠に入れられたまま常温でしばし冷やされ、やっとおみやげ用の大きさに切り分けられて石鍋商店の「久寿餅」になります。ここで試食タイムとなりました。
原料屋が良質な小麦を使用しているため、当然澱粉も質が良いものになるそうです。今後試してみたい小麦は、店主の石鍋さんはオーストラリア産のASWヌードルという種類で作ってみたいという夢があるそうです。真面目に発酵食品と向き合っていく姿勢はずっと貫くという意思を感じました。
いただいた久寿餅の食感はもちもちとしており、どこか酸味と発酵の香りを感じます。くせのない清涼感のみの葛餅と違い菌が産生した餅で、もとの小麦澱粉を感じさせない艶やかで滑らかな表面でやや灰褐色の餅です。きなこと黒蜜を絡めると次々口に運びたくなります。
まとめ
多くの発酵食品の誕生エピソードと同じく『くず餅』とは、偶然が作ったものでした。醤油や味噌で使った木樽しか使わないというところから大豆、小麦発酵由来の酵母が蔵つき酵母として木の孔にいるのが想像できます。しかし、酵母は糖分をアルコール発酵するものですが、『くず餅』には、糖化の過程はありません。やはり樽の中にいると、思われる麹由来のアミラーゼで糖化していると考えられます。絶対量が少ないので何年も発酵させなくてはならないようです。酸っぱくなるという発言からも乳酸菌が発酵に関わっていることでしょう。あるいは、アルコール発酵しているので酢酸菌由来の酸っぱさの可能性もあります。現在の技術で、アミラーゼで糖化し酵母を入れて発酵すると何日かでできそうですが、同じものができるという確証はありません。
こうして、江戸時代からの製法を守っている方が王子にいること自体が文化とも言えます。同じ東京都内ですが、午後のおやつの時間になると多くの人々がくず餅を求めてお店を訪れます。また、御近所の方が、コミュニティの問題について相談に来たり、便利なものの情報を提供するためだけに暖簾をくぐったりします。また、お店も家族経営です。古き良き日本のコミュニティと時間がここには、存在しています。
以上