外国人観光客が好きなもの【日本酒】で成功した例

外国人観光客が好きなもの【日本酒】で成功した例


日本に来た方に日本古来の食文化を理解していただくために「発酵ソムリエ」を展開していますが、今回は日本古来のもので現代という舞台において成功した事例を考えましょう。


獺祭・・・ずっと停滞してきた日本酒の世界を鮮やかに変えたブランド

 

獺祭の旭酒造社長による講演会に参加しました。

 

ピンチをチャンスにした旭酒造、赤字続きの会社を再生させ世界の獺祭にした社長は、どんな人なのでしょうか?

 

先代の社長が左うちわで儲かっていた僻地の小さな酒造会社は、継いだ時には2000石だったものが700石になった時点でした。業界は43年間で13になっていました。

 

ピンチに拍車をかけた要因は3つ。

1.山奥で過疎地

2.県内で好適米ができない

3.杜氏がFA宣言をした

 

今、5階建てのビルでお酒を作っていますが、その手前にある平屋の小学校は8人しか生徒がいません。過疎地なので、近隣の大きな街で販売しても売れませんでした。そこで、東京に販路をつくります。

 

2に関しても、農協や経団連、そしてJETROも協力をしてくれない中で兵庫県の山田錦にこだわりました。売れ始めてからも磨きに磨く純米大吟醸しか作らない獺祭なので、お米がなくなってしまい、減反政策が悪いと活動し、同じ山口県の安倍晋三首相にも嘆願にいきます。

 

杜氏の3つ目の問題。これは、60から70歳が多く、教えることがないので若い人が育ちません。また、ものいう経営者だったため、そのやり方をずっと見ていたので、やり方はなんとなくわかります。杜氏がいなくなり配送の若者たちと仕方なく自分でつくろうと決めます。

 

自分の作りたい酒、つまりお客様がほろ酔いになり満足感を感じる美味しいお酒を作るのだと決めます。1990年には、夏場、若者たちが働けなくなってはいけないと、地ビールづくりに励みますが、販路がないと作ってはいけないと言われてレストランまで作りました。

 

杜氏を呼んで夏場はつくらないのでなく温度管理をして一年中酒造りができるようにしまいた。新社屋もまるで工場の五階建て。これは杜氏がいなくなった時に、サイエンスとして取り組むというアプローチです。鈴木真弓さんの本によると静岡酵母の生みの親、河村伝兵衛氏が研究室で静岡酵母を編み出したのであって、杜氏ではないということも影響しているそうです。

 

ワインに比べて、日本酒というものは変化し続ける酒です。例えば、500年前のワイナリーのワインは今のものとあまり違いませんが、室町時代にできた日本酒の原型はまったく違う飲み物です。杜氏に逃げられたので獺祭の社長は、すべては杜氏任せにしていたから味も変わっていったと苦言を呈していました。個人的には、財務省の管轄で税金逃れの二級酒を作ることで売上を保持した大手の酒造業界にも問題がありそうに思いました。

 

獺祭は現在ニューヨークのそば、ハイドパークに新しい蔵を作っています。理由は、世界の富裕層の味覚のレベルが日本人に似ていて、日本酒の美味しさを理解してくれることです。ニューヨークにしたのは、ヨーロッパへの進出も考えています。また、ルーズベルト大統領の生家が近く、いわゆる白人富裕層が多いこと、そしてCIAという世界一の料理学校が近くにあるのでここを拠点に活動を考えているのです。

 

ここから何を読み取るかというと、旭酒造単体で動いているということです。獺祭が一社でNYCにおいて獺祭祭りをしているのであって経団連やJETROなどがバックにいません。

 

あなたという点が海外の誰かという点と繋がることは可能性として存在しています。